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みんなと一緒が安心?誰かの価値観より「自分がどう思うか?」を大事にすれば、他人と違っても怖くない!

「普通はこうするものだよね」

「みんながしているから、私も」

「あの人がこう言っているから、間違いない」

 

誰かと同じって、なんだか安心します。

自分と似たような考え方や、趣味が合う人は味方のようにも思えます。

 

反対に、他人と違うことをしたり、言ったりするのって、勇気がいりますね。

 

「私はあなたの考え方と違う」

という言葉は、それ自体が相手を批判するものでもないのだけど、なんだか言い出しにくい。

 

 

特にそれが友達や恋人、夫婦、家族など、大切な人であるほど、

 

「これを言ったらどう思われるかな?」

「嫌われないかな?」

 

と心配になることもあります。

 

「だったら、言うのやめておこう。」

「言わないほうがいいよね。」

「私が我慢していた方が、うまくいく。」

 

 

そうして言わずに我慢することもあるかもしれません。

 

 

 

また、SNS上で時に「炎上」が問題になることもありますね。

 

「みんなと一緒に」誰かを非難する。

 

炎上しているときに対象の人をかばうような発言がまた、叩かれる。

 

 

そんなことを目の当たりにすると、やっぱりみんなと同じがいい、目立ったことはしたくないと思うこともあるでしょう。

 

 

 

みんなと、普通と違うことをしたら、あの人にどう思われるだろう?

 

「変な人」

「なんであの人は普通と違うことするの?」

「目立ちたいの?」

 

 

そんなふうに思われるかもしれないと足がすくむこともあるかもしれません。

 

やっぱり怖くなって、

 

「やめておこう」

 

そういう選択をすることもあります。

 

 

 

「社会的排除」は人間が進化の過程で身に着けた「機能」

 

 

いじめ、スポーツチーム、ママ友グループ、会社…

 

こうした「社会的排除」は、年齢や場所を問わずコミュニティの中で起こりえます。

 

現代はネット社会だから、というわけでもなく、古くは日本の村八分、ナチスドイツ、宗教や思想の弾圧など、いつの時代にも起こったことです。

 

 

 

それは、集団で生活することで生き延びてきた人間が進化の過程で身に着けた「機能」であるという考え方があります。

 

 

つまり、人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動がなくならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるから、ということです。

(中野信子氏著、『ヒトは「いじめ」をやめられない』より)

 

 

これを前提にすると、私たちは同時期に様々なコミュニティに属しながら生活をしているので、どこにいても社会的排除がおこる可能性があるということです。

 

 

 

 

人に合わせていれば本当にうまくいくの?

 

 

自分が我慢して何も言わなかったり、人に合わせていればすべてうまくいくのでしょうか?

 

 

周りの人にどう思われるか、それが自分の選択基準になると。

 

 

みんながいいというから、私もそれを買う。

みんながおかしいというから、私もやめておく。

みんなが嫌いって言っているから、私も嫌い。

 

 

この考え方って、クセになります。

考えなくても、みんなに合わせていればいいから楽なんです。

 

そして、自分が好きなものややりたいことがわからなくなっていく。

 

「だれか」が「おかしいよ」って言うとそれだけで不安になる。

「だれか」が「いいよ」って言わないと選べない。

 

うまくいかなかったときに誰かのせいにしたりもする。

 

「あの人が言ったからそのとおりにしたのに」なんて。

 

 

 

 

自分の気持ちに向き合えば、他人と違うことも怖くない!

 

 

「人と違う」ことはしたくない。

「みんな」と一緒が安心。

 

そう思う気持ち、とてもよくわかります。

 

 

今、これを発信している私だって、誰かに何かを言われることがまったく怖くないかというと、そんなこともありません。

 

 

それに今まで何かを発信することなんてできなかったし、やろうさえも思わなかった。

 

 

だけど、「私はこれからどうしたいの?」という問いとにとことん向き合って、その答えが出せた時、「誰かと違うこと」が驚くほど怖くなくなりました。

 

 

自分が何を好きで、何が嫌で、

どんなときに心地よくて、

何がしたくて、したくなくて、

どうありたいか。

 

 

それは、どこかのだれかの基準じゃなくて、自分で決めていい。

 

人と違うのは、あたりまえ。

 

何をしても、何をしなくても、非難されることもある。

 

100%賛同されることの方が、洗脳しているみたいで怖い(笑)

 

 

人間がいくら進化しても、一人ではやっぱり生きていけません。

だけど、大昔と比べれば、集団で野生動物から身を守らなくても生きていけるようになりました。

 

過剰に「社会的排除」が機能しない社会、つまり、思うことを自由に言い合えて、

「私はこう思うよ、そっちもいいね」と言うのが当たり前の社会になることが、omoioの描いている未来です。

 

 


この記事を書くきっかけになった記事です。

キングコング西野さんの活動や世界観は、omoioの描く未来に重なることが多く共感しています(^^)

↓↓↓

 

僕はずいぶん長い間、日本中から叩かれ続けたから、それがいつだったかは忘れたけれど、「キングコング西野が嫌い」と豪語する人に、「嫌いな理由」を訊いてみたことがあった。
すると返ってきた答えは、「皆が嫌っているから」
耳を疑うような答えだったんだけど、実は、これと同じ答えを持っている人が少なくなくて、人は「好き・嫌い」を自分の意思で決めていないことがあるということが分かった。
どうやらその正体は『生存本能』で、つまるところ、「皆が嫌っているものを嫌っておいたら、自分に火の粉が飛んでこない」だ。
自分の身を守る為に、嫌われている者を嫌うってワケ。
自分の感情の所在が、「世間」にあるんだ。

キングコング西野亮廣ブログより)